東日本大震災後に、ストレスは低下した
2011年3月の東日本大震災で、日本国民は大きな衝撃を受けました。一般的には、「あの震災でストレスが高まった」と思っている方が多いだろうと思います。私たちも、そう思い込んでいました。
しかし、当時のデータをグラフ(下図)で見ると、まったく違う状況になっていました。3月~5月はかなりストレスが下がっていました。
もし「毎年、3月はストレスが低い」というのであれば、平年通りのことが起こっただけです。
しかし、下のグラフのように、他の9年間の平均と比較してみると、平年は3月がストレスが高くなることが多いのに対して、2011年の3月はストレスが大きく下がっており、特別な現象が起こっていたことがわかります。3月以外の月は、ほぼ平年と同じ動きをしています。
2011年3月だけ、大きくストレスが下がっていた
震災前後のストレスの推移を週ごとに見てみると、大震災が起こった週以降の2週間は、ストレスはどんどん下がっていました。4月に入ってから、ようやく反転して、ストレスが上昇しています。社会人も学生も同じ傾向を示していました。
なぜ、大震災でストレスが下がったのか?
大震災後に、どうしてストレスが下がったのでしょうか。これには、3つの要因が考えられます。
■ 1.インターネットへのアクセスの制約
1つは、インターネットへのアクセスの制約です。あれほどの大災害のときに、インターネットにアクセスして、ストレスのチェックをする人は、物理的にも精神的にも、まだ余裕のあるほうの人です。
被災された方々は、日々の生活にも困るほどで、ストレスチェックどころではなかっただろうと思います。極めて大きなストレスを感じている方はストレスチェックをする余裕はありませんので、結果として、ストレスレベルの平均値が下がった可能性が考えられます。
家族や知人を亡くされた方や、避難を余儀なくされている方のストレスが下がるということはまずありえないことですから、「被災された方のストレス」とは、分けて考える必要があります。当分析では「
非被災者のストレス」として分析します。
■ 2.ソーシャル・コヒージョン(社会的連帯、絆)の回復
2つ目の理由として、震災を受けて、国民の連帯感が高まった可能性があります。大切な人との「絆(きずな)」があらためて意識された時期でした。ふだん疎遠にしている家族や友人とも連絡を取り合い、つながりを確認した人が多かったはずです。また、多くの人が東北の人のことを思い、ボランティア活動などに参加しました。こうしたつながりの意識が高まったときには、ストレス度は減る傾向があります。
類似例として、2001年のアメリカの同時多発テロ後と、2005年イギリスのロンドン地下鉄テロ後に、イギリスでは一時的に自殺率が下がったと報告されています。その理由として、国民のつながりや連帯意識(ソーシャル・コヒージョン)が高まったためと指摘されています。
「みんなで力を合わせて、これを乗り越えていこうよ」という連帯意識や、助け合いの意識が高まるということです。
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英テレグラフ紙記事
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英精神医学誌(原論文)
ちなみに、自殺者数について警察庁の統計で確認してみると、例年3月は自殺者数が年間で一番多い傾向があるのに対して、2011年だけは低い値となっていました。そのかわりに、5月、6月に大きく増えています。やはり、2011年の震災時には、平年と違う状況が起こっていたようです。
一般的に、「ナショナル・トラジェディ(国家的悲劇・災難)」のときには、国民の多くが悲しみにくれる反面、連帯感によるプラス効果もあると見られています。誰もが同じ話題を話し、話題が共通化されます。情報をやりとりするためにコミュニケーションも促進されます。被災者への共感度も高まります。それらが、プラス要因となっている可能性があります。
■ 3.「仕事重視」の価値観の変化
3つめの理由として、震災直後は、「仕事どころではない」という雰囲気になり、仕事の成果が上がらなくてもあまり責任を問われない状況になっていたことも影響していると思われます。
首都圏では、余震の影響で電車が頻繁に止まったり、計画停電があったりして、会社に通うこともままならない状態でした。遅刻しても許される状態であり、電車が止まる前に社員を帰宅させようとして、終業時刻前の早期退社も推奨されました。
「仕事よりも、安全のほうが大事だ」「仕事よりも家族と過ごすほうが大事だ」という雰囲気がありましたので、震災に対応しなければならない公務、医療、報道、インフラ系の方などを除けば、仕事に関するプレッシャーは相当下がっていた可能性が考えられます。
震災で「人間関係」はこう変わった
当時のストレス要因を詳細に振り返ってみます。
対人関係のストレス要因は、他の月と比べて軒並み改善していました。代表的なものをグラフに示してみます。
1.「
人間関係の悪化」の項目は、大きく下がっていました。
「人間関係で揉めている場合じゃない、みんなで助け合おう」という気持ちが強まったのかもしれません。
2.「
他者への敗北感」も大きく下がっていました。「勝った」とか「負けた」などと言って争っている場合ではないと感じたのではないかと考えられます。
3.「
人間への不信感」の項目も改善されていました。
まわりの人との助け合いなどが、人間への信頼感を高めた可能性があります。
震災後には、様々なエピソードが報道されました。自分を犠牲にして他人を救った方の話もたくさんありました。自衛隊員による救助活動、トモダチ作戦による支援、各自治体の職員やボランティアの方などの献身的な支援活動も行われました。
また、被災された方が、整然と列をつくり、食べ物を順番に待っていた姿や、一つのおにぎりを分け合っていた例など、日本人の素晴らしさが世界中に報道され、世界の人を驚かせていました。
そういった様々な話に接して、普段は「人間への不信感」を感じていた人も、人間への信頼度が高まったのではないかと考えられます。
悲惨な出来事ではありましたが、心温まる話もたくさん報道されていました。そうしたことが、複合的に心理面に影響していたと推測されます。
震災で「職場」はこう変わった
次に、仕事上のストレス要因を見てみると、震災後はいずれの要因も低下していました。
1.2011年3月は、「
仕事時間が長い」という項目が大きく低下しています。当時は、会社が早期帰宅を勧めていましたし、多くの人が「残業なんかしている場合ではない」という感覚でした。
2.「
周囲からの過剰な期待」の項目も低下しています。緊急事態のさなかで、他者に対して過剰な期待をできる状況ではありませんでした。ふだんは仕事の成果に厳しい上司でも、「成果を上げろ」「ノルマを達成しろ」と部下にプレッシャーをかけられる状況ではありませんでした。
3.「
会社を辞めたい」という人も減っています。家も仕事も家族も何もかも失った方がいる中で、「仕事があるだけでもありがたい」と感じていた人が多かったのではないかと推測されます。
震災による「二極化」の可能性が高い
一般的に、ストレスを生む代表的な要因として
「人間関係」と「仕事」が挙げられます。上記で見たように、震災直後には、その両者の要因が改善されていました。それらが影響して、震災後にストレスが下がった可能性が高いと考えられます。
ただし、これは全体のストレス度の話であり、個別には異なります。私たちのまわりでも、震災をきっかけに不安感が極度に強くなってしまって、うつ病を再発させた方もいます。
全体のストレス度が下がっていても、個別には震災をきっかけに心理的に苦しむ方もいます。
そういう意味では、一般の人の平均ストレスは下がる一方で、震災をきっかけにさらに苦しむ方もいるという
「二極化」が起こっていた可能性があります。
災害・戦争など、大きなトラウマティック・イベント(心的外傷を生むような出来事)があると、
PTG(心的外傷後成長)と
PTSD(心的外傷後ストレス障害)の両者の方向性が出てくることがわかっていますが、まさしくその状態の「二極化」が起こっていたのだろうと思われます。
震災直後にストレスが下がったことから、何を学べるか?
あの大震災で多くの人のストレスが下がったのだとすれば、そこには、何らかのヒントがあるはずです。
震災時には、地震、余震といった大きな「自然ストレス」がありましたが、人間関係、仕事関係などの「ソーシャル・ストレス(社会的ストレス)」の低下がカバーしている状況でした。
社会的ストレスの低下は、おそらく、大震災のショックによって
「価値観を変化させられたこと」が影響を与えたのではないかと考えられます。
一時的なことかもしれませんが、大震災が起こったことで、普段は忘れがちになっている「本当に大切なこと」を認識させられた時期だったとも言えます。
「命があるだけでもありがたい」「家族がいるだけでもありがたい」「仕事があるだけでもありがたい」「食べ物があるだけでもありがたい」「電気が来るだけでもありがたい」などの感謝の気持ちを感じた方も多かっただろうと思います。
「困っている人を助けたい」「自分のできることをして貢献したい」という、使命感のようなものを感じた方もいたはずです。
「本当に大切なこと」を思い出すと、日常のストレスが相対的に小さく見えてくるものです(トリビアライジング)。
そこに、震災時から学べる「ストレス軽減のヒント」がありそうです。