30年間くらいを振り返りますので、長い記事です。目次から、必要な部分だけお読みください。
本稿は、議会よりも大統領の政策に重点を置いています。
なお、筆者がかつて在籍していた米経済誌日本版の会長(当時)がキャスパー・ワインバーガー元国防長官であり、同氏の記事をずっと担当していた関係で、少し国防総省寄りの内容になっているかもしれません。ただ、軍隊は一番ストレスの高い組織であり、メンタルヘルス疾患になる兵士も多いため、アメリカ全体の政策に大きな影響を及ぼしています。
<目次>
■1990年以前の状況
・大統領選挙で候補者の「精神科通院歴」が問題に
・社会に根付くメンタルヘルスに対するスティグマ(偏見)
■1990年以降のメンタルヘルス政策 アウトライン
■ジョージ・H・W・ブッシュ政権のメンタルヘルスへの取り組み
・メンタルヘルス政策の流れを変えたADA
■ビル・クリントン政権のメンタルヘルスへの取り組み
・無給の長期休暇を取れる制度「FMLA」法が成立
・白人男性の自殺率が上昇
・空軍が自殺対策に乗り出す
・ホワイトハウスで史上初のメンタルヘルス会議
■ジョージ・W・ブッシュ政権のメンタルヘルスへの取り組み
・メンタルヘルス政策を公約に
・教育・メンタリング政策も同時に推進
・メンタルヘルス委員会からホワイトハウスへ最終報告書
・前例のないメンタルヘルス改革キャンペーン
・強烈な反発を受けた、スクリーニングの義務づけ
・青少年の自殺予防法、退役軍人の自殺予防法が成立
・イラク帰還兵のPTSD対策が急務に
・スティグマ対策のための国防総省の様々な取り組み
・セキュリティ・クリアランス基準の歴史的な変更
・多くの人が待ち望んだメンタルヘルス・パリティ法がついに成立
■オバマ政権のメンタルヘルス関連政策
・議論になった国民皆保険導入
・病気有給休暇の実現を目指したが…
・オバマ政権は、既存の政策の強化がメイン
・銃規制などと絡み、状況は非常に複雑化
■トランプ政権のメンタルヘルス関連政策
・トランプ政権のメンタルヘルス政策は、未知数
■1990年以前の状況
・大統領選挙で候補者の「精神科通院歴」が問題に
・社会に根付くメンタルヘルスに対するスティグマ(偏見)
■1990年以降のメンタルヘルス政策 アウトライン
・メンタルヘルス政策の流れを変えたADA
・無給の長期休暇を取れる制度「FMLA」法が成立
・白人男性の自殺率が上昇
・空軍が自殺対策に乗り出す
・ホワイトハウスで史上初のメンタルヘルス会議
・メンタルヘルス政策を公約に
・教育・メンタリング政策も同時に推進
・メンタルヘルス委員会からホワイトハウスへ最終報告書
・前例のないメンタルヘルス改革キャンペーン
・強烈な反発を受けた、スクリーニングの義務づけ
・青少年の自殺予防法、退役軍人の自殺予防法が成立
・イラク帰還兵のPTSD対策が急務に
・スティグマ対策のための国防総省の様々な取り組み
・セキュリティ・クリアランス基準の歴史的な変更
・多くの人が待ち望んだメンタルヘルス・パリティ法がついに成立
・議論になった国民皆保険導入
・病気有給休暇の実現を目指したが…
・オバマ政権は、既存の政策の強化がメイン
・銃規制などと絡み、状況は非常に複雑化
・トランプ政権のメンタルヘルス政策は、未知数
1990年以前の状況
大統領選挙で候補者の「精神科通院歴」が問題に
1972年の大統領選挙で、民主党の副大統領候補トーマス・イーグルトン氏に「うつ病治療歴」があることが判明しました。
当時は、候補者に「うつ病治療歴」があることが大問題となりました。
問題にしたのは、ライバルの共和党ではなく、民主党支持者たちでした。多くの民主党支持者が辞退を求めたため、イーグルトン氏は候補者辞退に追い込まれました。異例のことでした。
1988年の大統領選挙でも、民主党のデュカキス候補が、「うつ病」と報道されて、精神科通院歴の有無が問題とされました。
これらは、いずれも社会における精神科通院に対する偏見(「スティグマ」)の一つとされています。
ただし、社会の側が一方的に理解不足というわけではなく、やむを得ない面があったのも事実です。
というのは、アメリカの大統領は核兵器の使用を決断する立場にあり、「精神的に不安定かもしれない人に、核の使用権限を委ねられるだろうか」という不安を多くの国民が持った面もあるようです。(注:1988年以前は、まだ米ソ冷戦が終結していなかった時期です)
また、「精神的に不安定な人が、国家の安全保障の最高機密情報にアクセスすることが適切か」というテーマも関係していました。
社会に根付く「メンタルヘルスに対する偏見(スティグマ)」
アメリカでは、政治家や企業経営者で精神科に通っている人は何人もおり、比較的気軽に精神科に行ける文化があるようです。
しかしながら、政治家や企業経営者などが精神科でカウンセリングを受けていることが報道されると、多くの場合は、認めずに、必死になってそれを否定しようとします。
前出の大統領候補の例でも、候補者は通院歴の有無などについての公開を拒否し、それがいっそう疑念を生んだとされています。
エグゼクティブたちが通院歴を否定しようとするのは、「自分の心をコントロールできない人間が、会社をコントロールできるのか、国をコントロールできるのか」と能力を疑われてしまうことがあるからです。
自己コントロール能力がないとみなされることは、経営者や政治家にとっては、リスクの高いことなので、実際には精神科に通っていても、「通っていない」と否定するケースが少なくないようです。
しかし、振り返ってみると、アメリカで最も尊敬される大統領の一人、リンカーン大統領はうつ病を患っていました。うつ病だからといって、仕事ができないわけではありません。リンカーン大統領は、歴代大統領の中でも、傑出して優れた仕事をしたというのが、アメリカ国民の認識です。
大統領候補者の精神科通院歴が問題になるのは、やはり「偏見」や「スティグマ」と呼ばれてもおかしくないものだろうと思われます。
1990年以降のメンタルヘルス政策 アウトライン
共和党政権 | 民主党政権 |
41代 ブッシュ政権
1990年 障害を持った人への差別をなくす法律 ADA成立 |
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42代 クリントン政権
1993年 無給の病気休暇を取れる法律 FMLA成立 1999年 ホワイトハウスで史上初めてメンタルヘルス会議 1999年 大統領が米軍にストレス対策を指示 |
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43代 ブッシュ政権
2002年 大統領がメンタルヘルス委員会設立 2003年 メンタルヘルス委員会、メンタルヘルス改革についての最終報告書を大統領に提出 2004年 青少年の自殺予防法GLSMA成立 2007年 退役軍人の自殺予防法JOVSPA成立 2008年 米国政府及び米軍 セキュリティ・クリアランス基準の変更 2008年 メンタルヘルス・パリティ法(MHPAEA)成立 |
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44代 オバマ政権
2010年 医療保険制度改革関連法(ACA)成立(オバマケア) 2016年 21st Century Cures Act 成立 2016年 メンタルヘルス改革法(審議中) |
45代 トランプ政権
2017年 トランプ政権の政策(不明) |
ジョージ・H・W・ブッシュ政権のメンタルヘルスへの取り組み
メンタルヘルス政策の流れを変えたADA
1990年に、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、障害を持った人への差別を禁止する法律(ADA Americans with Disabilities Act)にサインしました。これが後々メンタルヘルス対策において、非常に大きな影響力を持つことになります。
ADAは、障害を持った人にとっての「公民権法」と呼ばれるような法律です。注目していただきたいのは、「障害者」ではなく、「障害を持った人」という意味の、with disabilities とされている点です。
「人格」と「障害」は別であるということが強く意識されています。
日本語では、いい表現がないため、「障害」「障碍」「障がい」など、いろいろな表記がされますが、「with disabilities」というのは、アビリティ(能力)に支障がある面をいくつか持っているという意味です。
たとえば、仕事や生活に必要な100の能力のうち、2つとか3つの能力には支障があるというような意味であり、「何もできない」という意味ではありません。
足が悪くて階段を上る能力には支障がある、目の調子が良くなくて見る能力には支障がある、精神的な調子が良くなくて集中する能力には支障がある、でも、他のことはできます、というニュアンスです。
アメリカの企業のメンタルヘルス対策は、ADAに基づく対応が大きなウェイトを占めています。働くうえで支障がある面に関しては、企業や社会が「合理的な配慮」をして、その他のたくさんの能力を存分に生かせるようにすべき、というのがADAの考え方です。ADAを知ることは、米国企業のマネージャーにとって、不可欠なこととされています。
企業サイドでは、既に、EAP(Employee Assistance Program)という形で独自のメンタルヘルス対策が行われていましたが、徐々に、「合理的配慮」を求められるようになりました。
ビル・クリントン政権のメンタルヘルスへの取り組み
無給の長期休暇を取れる制度「FMLA」法が成立
ビル・クリントン大統領が就任して早々にサインした法律が、FMLA(Family and Medical Leave Act of 1993)です。
この法律は、自分や家族が病気になったときに、無給で比較的長期の休暇がとれるというものです。給料は支払われませんが、そのかわり、長期に休んでも「雇用は確保されている」という点がポイントでした。
メンタルヘルスケアのための法律というわけではありませんが、長期療養が必要とされることがあるメンタルヘルス疾患においては、「職が確保されている」という点は、非常に重要なことです。
FMLAは、かなり複雑な法律で、運用が難しいと言われていますが、それでも大きな一歩となりました。
白人男性の自殺率が上昇
クリントン大統領が就任したころ、アメリカではダウンサイジング、レイオフが盛んで、IBMやボーイングなどで大量の人員削減が行われていました。
それまではブルーカラーを対象とした雇用調整が主でしたが、このころにはホワイトカラーもその対象となり始めていました。雇用の不安定化によって、多くの人がストレスを感じていたようで、白人男性の自殺率が高まりました。
しかし、白人男性の自殺率に関しては、米国ではあまり関心を持たれませんでした。女性、子供、少数民族については話題になることが多いのですが、弱者とみなされていない白人男性については、関心が低かったようです。筆者が所属していた『フォーブス』誌では、「アメリカ人は、イルカの死については関心が高いのに、白人男性の死については関心が持たれない」という記事も出ていました。
アメリカでは、白人男性のケアについては、あまり目が向けられない傾向がありました。(2016年追記。白人男性へのケアがずっと放置されてきたことが、2016年の大統領選挙でのトランプ大統領誕生に大きく影響したのかもしれません。政治から置き去りにされた白人男性たちがトランプ氏を熱烈に支持したと言われています)
空軍が自殺対策に乗り出す
90年代半ば過ぎになって、米国空軍が自殺対策に乗り出しました。
空軍では、重大な出来事については、毎日上層部に報告書が上げられます。ある上層部の人間が、自殺事例の報告が多くなっていることに気がつきました。
自殺対策に取り組まなければならないと考えた空軍では、副参謀総長から自殺対策に取り組むように指示が出されました。
詳細は省きますが、レベル1~レベル4の「4つの介入」を核とした様々な取り組みが行われた結果、自殺者は大幅に減少しました。
空軍の取り組みは、米国で最も成功した自殺予防対策の一つと考えられています。(内閣府の平成19年版『自殺対策白書』においても、米国空軍の取り組みが1行だけですが、触れられています)
ホワイトハウスで史上初のメンタルヘルス会議
クリントン政権の中には、熱心にメンタルヘルスに取り組んでいる人がいました。それは、ゴア副大統領夫人のティッパーさんです。
ティッパー夫人は、心理学のマスターを持っている人で、かねてから、メンタルヘルスやホームレス支援に取り組んでいました。
彼女は、クリントン政権でメンタルヘルス政策顧問を務めており、「メンタルヘルスに関しての国民の偏見を取り除きたい」という考えから、1999年に史上初めて、ホワイトハウスでメンタルヘルス会議を開催しました。この会議には、ビル・クリントン大統領、ヒラリー・クリントン夫人、アル・ゴア副大統領も出席しています。
ティッパー夫人は、根強く残っているメンタルヘルスに関する偏見を「20世紀最後の偏見」と呼びました。
この会議後にクリントン大統領は声明を出し、空軍の自殺予防対策の実績についても触れつつ、「国防総省は、司令官たちにストレスについての理解を深めるようにさせることが重要である」と述べています。そして、最高司令官として、国防総省にストレス・コントロールについてのプランを作るように命令を出しました。
ホワイトハウスでのメンタルヘルス会議は、メンタルヘルスの重要性をメディアに報じてもらい、少しでも偏見を取り除いてもらうことが狙いでした。
同会議が史上初という点から見ても、ホワイトハウスが本格的にメンタルヘルスに取り組む姿勢を示したのは、1999年が最初と言えます。
ジョージ・W・ブッシュ政権のメンタルヘルスへ取り組み
メンタルヘルス政策を公約に
ブッシュ大統領は、テキサス州知事時代からメンタルヘルス政策に取り組んでいたこともあり、メンタルヘルス政策を公約の一つとしていました。
そのため、ブッシュ政権は、歴代政権の中では、メンタルヘルスに最も熱心に取り組んだ政権と言えます。
あまりにも熱心に取り組もうとしたため、反対陣営からは「製薬会社を儲けさせるためにやっているのではないか」というネガティブ・キャンペーンをされたこともあります。
ブッシュ政権がメンタルヘルス政策に熱心に取り組んだ理由としては、政権スローガンである「compassionate conservatism 思いやりのある保守主義」の実現のためとされていますが、おそらく個人的な思い入れもあったのだろうと思われます。
それは、ブッシュ大統領自身がかつてアルコール依存の時期があったこと。また、父のブッシュ元大統領が成立させた「障害を持った人への差別をなくすADA」をさらに推進したいという思い入れがあったのではないかと推察されます。
実際、2001年1月の就任から2週間程度で、ADAに基づいた新しい支援政策をスタートさせています。
教育・メンタリング政策も同時に推進
ブッシュ大統領は教育やメンタリングの取り組みにも熱心でした。
(注:「メンタリング」とは、大人や教会関係者などが、青少年をサポートして、非行や自殺を防ぐことです。また、学力面のサポートが行われることもあります。メンタリングは、企業内でも行われていますが、政策的に取り組まれているのは、青少年などのためのメンタリングです)
ブッシュ大統領が就任後すぐに打ち出した政策は、「No Child Left Behind (一人の子供も置き去りにしない)」という教育政策でした。また、犯罪者の子供たちに対して、「子供たちには罪はない」ということで、予算を付けて、彼らを支援するためのメンタリング・プログラムも行っています。
なお、ローラ・ブッシュ夫人は、小さな子供への「読み聞かせ」に力を入れたことで有名ですし、パウエル国務長官も子供たちのメンタリングに力を入れていました。
ブッシュ大統領は、2002年に「メンタルヘルス委員会」を設立しました。同委員会は2003年に大統領に報告書を提出し、メンタルヘルス改革について提言しています。そこには、メンタルヘルス教育の重要性、消費者(利用者)中心のメンタルヘルスサービスの実現、サービス格差の是正、早期発見プログラム、より質の高いサービスの提供と研究促進、インターネットなどを活用した啓発活動の重要性などが盛り込まれています。
この報告書では、「コンシューマー・センタード(利用者中心)」と「リカバリー・オリエンティッド(復帰)」が強調されています。利用者の望んでいるメンタルヘルスは、単なる「病気・障害の治癒」ではなく、「会社や社会に復帰すること」であるという意味です。
また、報告書では、政府機関は、省庁、自治体の壁を超えて、連携して個人個人に合わせたプランを作らなければ、利用者中心のケアはできないと結論づけています。
いずれにせよ、政府機関及びメンタルヘルス・サービス・プロバイダー(医師、精神科医、心理療法家、ソーシャル・ワーカー、EAPプロバイダーなど)は、利用者中心の発想に変革し、「会社や社会に戻って以前と同じように生活していきたい」という利用者の望んでいる最終目的を見誤ってはならないということが強調されています。
この報告書をもとに、米国精神医学会をはじめ、主要なメンタルヘルス関連団体がコラボレーションを組んで、法整備を求めるなどの「メンタルヘルス改革キャンペーン」を行いました。
議会関係者も超党派でこのキャンペーンを支援し、青少年の自殺防止法などいくつかのメンタルヘルス対策法が制定されています。
また政府機関においては、国立精神衛生研究所(NIMH)によって、うつ病や自殺を防止するための「Real Men, Real Depression」という、これまでにない啓発キャンペーンが展開されました。
主に、兵士、警察官、消防士、経営者などの、「屈強であらねばならぬ」と思っている男性に向けたキャンペーンです。「うつ病は誰でもなるものです。屈強な人でもなります。恥ずかしいことではありませんよ」というメッセージが伝えられました。
また、メンタルヘルスを担当する保健福祉省SAMHSAでは、報告書をもとに、教育関係者向けガイドラインを作ったり、大人向けサイト、青少年向けサイトを作ったりするなど、様々な取り組みを進めています。
事業者向けガイドラインとして、「メンタルヘルス・フレンドリー・ワークプレース」という資料も公開されました。これは、企業関係者にとってかなり参考になる資料でした。事業者のメンタルヘルス研究が進んでいるイギリスのノウハウも導入されていました。
メンタルヘルスは国のあらゆる分野にかかわる問題です。自殺、犯罪、青少年非行、薬物依存、ホームレス、差別、兵士のPTSD、育児放棄、虐待、いじめ、DV、介護、終末期医療、過労、企業の生産性など、あらゆる分野にかかわっています。
報告書策定以降、アメリカでは、メンタルヘルスは、国家にとって極めて重要な問題であるという認識が深まりつつあるようです。
大統領メンタルヘルス委員会は、「精神疾患にかかっていても治療を受けない人が多い」という事実を重視して、すべての人にスクリーニングをしてはどうかという案を出しました。
その対象には、就学前の子供も含まれていました。メンタルヘルス疾患は、子供の頃から何らかの兆候が表れる傾向があり、大人になってから対応するよりも、もっと早期に対応したほうが良いという考え方があります。
ブッシュ政権は、この提言を取り入れ、すべての子供にメンタルヘルス・スクリーニングを実施するというプランを考えました。早めに精神疾患がわかれば、深刻化する前にケアができるという発想です。
これに対しては、世論の強烈な反発がありました。
早期発見、早期ケアをするためとはいえ、いまだ、偏見(スティグマ)の残る社会においては、子供が差別をされたり、いじめを受けたりする可能性が出てきます。「偏見を助長しかねない」ということで、多くの人が強烈な反対をして、政策は中止されました。
2004年、ブッシュ大統領は、青少年の自殺予防のために約85億円の予算を承認する自殺予防法にサインしました。この法律は、自殺をしたギャレット・リー・スミスさん(ゴードン・スミス上院議員の子息)の名前が冠せられ、GLSMA(Garrett Lee Smith Memorial Act)と呼ばれています。
2007年には、退役軍人省に対して、退役軍人の自殺を予防する包括的な政策を実施するように求める自殺予防法JOVSPA(Joshua Omvig Veterans Suicide Prevention Act)に大統領はサインをしました。この法律も、上記法律と同様に、自殺した退役軍人ジョシュア・オムヴィグさんの名前が冠されています。
なお、退役軍人省のメンタルヘルス予算は、2009年は約4000億円で、前年から約330億円の予算増となりました。これは、保健福祉省のメンタルヘルス関連部局SAMHSA、NIMH(国立精神衛生研究所)、NIOSH(国立労働安全衛生研究所)等の予算をもしのぐ金額です。
イラク、アフガニスタン帰還兵の中には、PTSD(Posttraumatic Stress Disorder 心的外傷後ストレス障害)やmTBI(mild Traumatic Brain Injury 軽度外傷性脳損傷)になる人がいます。うつ病や自殺にもつながるものであり、早急な取り組みが必要とされました。
国防総省は、イラク、アフガニスタンの戦場の最前線に数多くのメンタルヘルス専門家を派遣しましたが、PTSDになる人は後を絶ちませんでした。
そこで、退役軍人省では、イラク、アフガニスタン帰還兵に対して、さまざまなノウハウを使って、PTSD対策、うつ病対策、自殺予防対策に取り組みました。その中には、バーチャル・リアリティを利用して開発された最新のPTSD治療術もあります。
国防総省は、兵士たちに、心の不調を感じたときには治療を受けるように繰り返し教育をしています。
それでも、兵士たちは、治療を受けようとしません。「精神科クリニックに行くなんて、冗談じゃない」「それは、弱い人間のすることだ」といった強い信念を持っている兵士が少なくないようです。
そこで、空軍では一時「メンタルヘルス」という言葉そのものを使わないようにしていたこともあります。「メンタルヘルス・クリニック」という言葉は利用者にとってのイメージが悪いという理由から、「ライフ・スキルズ・サポート・センター(LSSC)」という名称に変更をしました。
しかし、「ライフ・スキルというのは、社会適応能力が未熟な子供たちが身につけるもの」というイメージがあるらしく、この名称でも、兵士たちの多くは治療を受けに行こうとしなかったようです。
国防総省は、説得の方法を変えました。
「メンタルヘルス・クリニック」という言葉を使わないようにするといった、小手先の名称変更だけでは、メンタルヘルスに対するネガティブなイメージはぬぐい去れないとのことから、「治療を受ける意義」を強調する方法に変えています。
「治療を受けることは、弱いことではない。治療を受けることは、勇気のあることだ」
「治療を受けることは、強さの証である」
ゲーツ国防長官(当時)、マレン統合参謀本部議長(当時)が、繰り返しこうしたメッセージを送り続けました。
(注:「メンタリング」とは、大人や教会関係者などが、青少年をサポートして、非行や自殺を防ぐことです。また、学力面のサポートが行われることもあります。メンタリングは、企業内でも行われていますが、政策的に取り組まれているのは、青少年などのためのメンタリングです)
ブッシュ大統領が就任後すぐに打ち出した政策は、「No Child Left Behind (一人の子供も置き去りにしない)」という教育政策でした。また、犯罪者の子供たちに対して、「子供たちには罪はない」ということで、予算を付けて、彼らを支援するためのメンタリング・プログラムも行っています。
なお、ローラ・ブッシュ夫人は、小さな子供への「読み聞かせ」に力を入れたことで有名ですし、パウエル国務長官も子供たちのメンタリングに力を入れていました。
メンタルヘルス委員会からホワイトハウスへ最終報告書
ブッシュ大統領は、2002年に「メンタルヘルス委員会」を設立しました。同委員会は2003年に大統領に報告書を提出し、メンタルヘルス改革について提言しています。そこには、メンタルヘルス教育の重要性、消費者(利用者)中心のメンタルヘルスサービスの実現、サービス格差の是正、早期発見プログラム、より質の高いサービスの提供と研究促進、インターネットなどを活用した啓発活動の重要性などが盛り込まれています。
この報告書では、「コンシューマー・センタード(利用者中心)」と「リカバリー・オリエンティッド(復帰)」が強調されています。利用者の望んでいるメンタルヘルスは、単なる「病気・障害の治癒」ではなく、「会社や社会に復帰すること」であるという意味です。
また、報告書では、政府機関は、省庁、自治体の壁を超えて、連携して個人個人に合わせたプランを作らなければ、利用者中心のケアはできないと結論づけています。
いずれにせよ、政府機関及びメンタルヘルス・サービス・プロバイダー(医師、精神科医、心理療法家、ソーシャル・ワーカー、EAPプロバイダーなど)は、利用者中心の発想に変革し、「会社や社会に戻って以前と同じように生活していきたい」という利用者の望んでいる最終目的を見誤ってはならないということが強調されています。
前例のないメンタルヘルス改革キャンペーン
この報告書をもとに、米国精神医学会をはじめ、主要なメンタルヘルス関連団体がコラボレーションを組んで、法整備を求めるなどの「メンタルヘルス改革キャンペーン」を行いました。
議会関係者も超党派でこのキャンペーンを支援し、青少年の自殺防止法などいくつかのメンタルヘルス対策法が制定されています。
また政府機関においては、国立精神衛生研究所(NIMH)によって、うつ病や自殺を防止するための「Real Men, Real Depression」という、これまでにない啓発キャンペーンが展開されました。
主に、兵士、警察官、消防士、経営者などの、「屈強であらねばならぬ」と思っている男性に向けたキャンペーンです。「うつ病は誰でもなるものです。屈強な人でもなります。恥ずかしいことではありませんよ」というメッセージが伝えられました。
また、メンタルヘルスを担当する保健福祉省SAMHSAでは、報告書をもとに、教育関係者向けガイドラインを作ったり、大人向けサイト、青少年向けサイトを作ったりするなど、様々な取り組みを進めています。
事業者向けガイドラインとして、「メンタルヘルス・フレンドリー・ワークプレース」という資料も公開されました。これは、企業関係者にとってかなり参考になる資料でした。事業者のメンタルヘルス研究が進んでいるイギリスのノウハウも導入されていました。
メンタルヘルスは国のあらゆる分野にかかわる問題です。自殺、犯罪、青少年非行、薬物依存、ホームレス、差別、兵士のPTSD、育児放棄、虐待、いじめ、DV、介護、終末期医療、過労、企業の生産性など、あらゆる分野にかかわっています。
報告書策定以降、アメリカでは、メンタルヘルスは、国家にとって極めて重要な問題であるという認識が深まりつつあるようです。
強烈な反発を受けた、スクリーニングの義務づけ
大統領メンタルヘルス委員会は、「精神疾患にかかっていても治療を受けない人が多い」という事実を重視して、すべての人にスクリーニングをしてはどうかという案を出しました。
その対象には、就学前の子供も含まれていました。メンタルヘルス疾患は、子供の頃から何らかの兆候が表れる傾向があり、大人になってから対応するよりも、もっと早期に対応したほうが良いという考え方があります。
ブッシュ政権は、この提言を取り入れ、すべての子供にメンタルヘルス・スクリーニングを実施するというプランを考えました。早めに精神疾患がわかれば、深刻化する前にケアができるという発想です。
これに対しては、世論の強烈な反発がありました。
早期発見、早期ケアをするためとはいえ、いまだ、偏見(スティグマ)の残る社会においては、子供が差別をされたり、いじめを受けたりする可能性が出てきます。「偏見を助長しかねない」ということで、多くの人が強烈な反対をして、政策は中止されました。
青少年の自殺予防法、退役軍人の自殺予防法が成立
2004年、ブッシュ大統領は、青少年の自殺予防のために約85億円の予算を承認する自殺予防法にサインしました。この法律は、自殺をしたギャレット・リー・スミスさん(ゴードン・スミス上院議員の子息)の名前が冠せられ、GLSMA(Garrett Lee Smith Memorial Act)と呼ばれています。
2007年には、退役軍人省に対して、退役軍人の自殺を予防する包括的な政策を実施するように求める自殺予防法JOVSPA(Joshua Omvig Veterans Suicide Prevention Act)に大統領はサインをしました。この法律も、上記法律と同様に、自殺した退役軍人ジョシュア・オムヴィグさんの名前が冠されています。
なお、退役軍人省のメンタルヘルス予算は、2009年は約4000億円で、前年から約330億円の予算増となりました。これは、保健福祉省のメンタルヘルス関連部局SAMHSA、NIMH(国立精神衛生研究所)、NIOSH(国立労働安全衛生研究所)等の予算をもしのぐ金額です。
イラク帰還兵のPTSD対策が急務に
イラク、アフガニスタン帰還兵の中には、PTSD(Posttraumatic Stress Disorder 心的外傷後ストレス障害)やmTBI(mild Traumatic Brain Injury 軽度外傷性脳損傷)になる人がいます。うつ病や自殺にもつながるものであり、早急な取り組みが必要とされました。
国防総省は、イラク、アフガニスタンの戦場の最前線に数多くのメンタルヘルス専門家を派遣しましたが、PTSDになる人は後を絶ちませんでした。
そこで、退役軍人省では、イラク、アフガニスタン帰還兵に対して、さまざまなノウハウを使って、PTSD対策、うつ病対策、自殺予防対策に取り組みました。その中には、バーチャル・リアリティを利用して開発された最新のPTSD治療術もあります。
スティグマ対策のための国防総省の様々な取り組み
国防総省は、兵士たちに、心の不調を感じたときには治療を受けるように繰り返し教育をしています。
それでも、兵士たちは、治療を受けようとしません。「精神科クリニックに行くなんて、冗談じゃない」「それは、弱い人間のすることだ」といった強い信念を持っている兵士が少なくないようです。
そこで、空軍では一時「メンタルヘルス」という言葉そのものを使わないようにしていたこともあります。「メンタルヘルス・クリニック」という言葉は利用者にとってのイメージが悪いという理由から、「ライフ・スキルズ・サポート・センター(LSSC)」という名称に変更をしました。
しかし、「ライフ・スキルというのは、社会適応能力が未熟な子供たちが身につけるもの」というイメージがあるらしく、この名称でも、兵士たちの多くは治療を受けに行こうとしなかったようです。
国防総省は、説得の方法を変えました。
「メンタルヘルス・クリニック」という言葉を使わないようにするといった、小手先の名称変更だけでは、メンタルヘルスに対するネガティブなイメージはぬぐい去れないとのことから、「治療を受ける意義」を強調する方法に変えています。
「治療を受けることは、弱いことではない。治療を受けることは、勇気のあることだ」
「治療を受けることは、強さの証である」
ゲーツ国防長官(当時)、マレン統合参謀本部議長(当時)が、繰り返しこうしたメッセージを送り続けました。
セキュリティ・クリアランス基準の歴史的な変更
国防総省は、様々な取り組みを続け、スティグマ対策も行ってきましたが、それでも兵士たちは治療を受けようとしませんでした。
なぜ、それほど兵士たちが精神科での治療を拒むのか。
そこに、大きな課題が浮かび上がってきました。それは、「セキュリティ・クリアランス(人物証明)」の問題です。
アメリカでは、国家の重要機密情報にアクセスするためには、一定の要件を満たす必要があります。セキュリティ・クリアランスと呼ばれています。その要件の中に、メンタルヘルスの問題が含まれています。
精神的な治療を受けた経験の有無を問うものがあり、回答次第で機密へのアクセスが制限されていました。
兵士にとって、重要機密にアクセスできないことは、作戦にかかわれないということであり、また、昇進できないことを意味します。
「精神科でカウンセリングを受けてしまうと、自分の任務やキャリアにマイナスの影響を及ぼす」と考える人が少なくありませんでした。
そのような不安を抱いていれば、精神科で治療を受けようという気にはなりません。これも、メンタルヘルス治療のバリアの一つであり、このバリアを取り除かない限り、兵士は治療を受けようとしてくれないという結論に至ったようです。
そこで、米国政府は、セキュリティ・クリアランスから、精神科での治療の有無を尋ねる要件をはずしました。(ただし、アルコール依存・薬物依存の治療など、一部の例外はあります)
テロとの闘いを続けている米国政府にとって、セキュリティ・クリアランスの要件を緩和することは、非常に大きな決断です。「歴史的な変更」と言われましたが、それだけ、帰還兵のPTSD問題が深刻であることの表れとも言えます。
まさに、長い長い闘いでした。
もとをたどれば、30年前に行き着くほどの課題がついに達成されました。
多くの人が望んできた、「メンタルヘルス疾患」と「体の疾患」の保険の取扱の不平等をなくす法律、メンタルヘルス・パリティ法がようやく成立しました。パリティというのは、同等、等価という意味です。
アメリカでは、「体の疾患」と「精神疾患」では、保険の差別があり、精神疾患の場合は、通院回数や入院回数に上限が設けられるとか、満額もらえないとか、いろいろな差別的取り扱いがありました。それをなくそうという議論は、30年前くらいからありました。ある程度の差別をなくす法律はありましたが、不十分でした。そのため、本格的に差別をなくす法案が議会に提出されました。しかし、審議され始めてから、10年以上経過していました。
上院で可決されても下院で否決され、下院で可決されても上院で否決される。上院案と下院案が一致せず、10年間、成立しなかった法律です。
ブッシュ政権はこの法律の成立に力を入れていましたが、上院案を支持する姿勢でした。しかし、下院は賛成しませんでした。
2008年に、ついに上下両院で可決され、大統領がサインして法律が成立しました。ブッシュ大統領はテキサス州知事時代にも同様のメンタルヘルス法にサインしており、州法と連邦法の両者の成立にかかわったことになります。
ちなみに、このメンタルヘルス・パリティ法はリーマン・ショックをきっかけとした金融危機を受けて成立した「金融安定化法(緊急経済安定化法 Emergency Economic Stabilization Act of 2008)」の一部です。
政治的ないきさつを述べると、メンタルヘルス・パリティ法案は、いわゆる「取引材料」に使われました。リーマンショック後に上院が提案した金融安定化法案は、下院でまさかの否決をされました。それによって、当時としては史上最大、1日にダウ平均株価が777ドルも暴落をしてしまいました。
あわてた上院は、下院が提案していた「メンタルヘルス・パリティ法案」を通してやるから、金融安定化法案に賛成してくれと頼みました。そして、下院から送られてきた「メンタルヘルス・パリティ法案」に、「金融安定化法案」をくっつけて修正案とし、一本の法律として上院で可決し、下院に送り返しました。
「否決できるものなら否決してみろ。そのかわり、メンタルヘルス・パリティ法案も廃案になるぞ」と一種の脅し材料として使いました。下院としては、メンタルヘルス・パリティ法案を通したいので、金融安定化法案に賛成せざるを得なくなりました。
こうした政治的なテクニカルな要素はあったにせよ、金融安定化法も可決され、メンタルヘルス・パリティ法も可決されたというわけです(一本の法律になっているので)。
この法律の成立によって、メンタルヘルス疾患になっても、体の疾患と同等の保険を受けられるようになりました。約1億1300万人の保険が改善されることになりました(当時のアメリカの人口は約3億人)。
これまでは、通院回数、入院日数などの事実上の上限があったメンタルヘルス疾患の保険が、体の病気と同等の保険となり、患者とその家族にとって希望の持てる状況が作り出されました。
米国精神医学会をはじめ、この法律の成立を推進してきた人がみな歓迎する、まさに「歴史的な法律」と言われています。
この法律成立の意義は、治療の際の経済的な面にとどまるものではありません。メンタルヘルスに対する偏見と差別を減らすことに、大統領・上院・下院が共同して国家として真剣に取り組むことを示したという点で、とても大きな意義があると考えられています。
上記のように、過去20年間以上にわたって、米国は様々なメンタルヘルスの取り組みを続けています。それでも、依然としてスティグマは続いており、治療を受けたくないという人も多く、メンタルヘルス政策の課題はいくつも残っているようです。
しかし、2008年10月に長年の懸案だったメンタルヘルス・パリティ法が成立するなど、徐々にですが、着実に進歩してきています。
<追記>
オバマ政権のメンタルヘルス関連政策
オバマ大統領は、「医療保険改革」を選挙公約にして、国民皆保険に近づく制度を導入しました。いわゆる「オバマケア」です。
これに対しては、様々な批判が出ていますが、新たな方向に動き出したことは間違いないでしょう。
メンタルヘルスに関しては、すでにメンタルヘルス・パリティ法が成立していますので、未加入者が新規に加入する保険においても、メンタルヘルスに関しての保険差別は認められません。そういう意味では、オバマケアは、メンタルヘルスに対する保険の対象者拡大になりました。
ブッシュ政権がメンタルヘルス政策に力を入れて、一通りのめどを付けたため、オバマ政権では、あまりめぼしいものは出てきていません。
しいて言えば、オバマ大統領は「病気有給休暇(paid sick leave)」を義務づける法律(Healthy Families Act)の実現を目指しました。アメリカは、先進国で唯一、「法定有給休暇制度」のない国であるため、オバマ大統領はせめて「病気有給休暇」だけでも連邦全体で実現させようと考えました。しかし、議会で可決されず、実現しませんでした。
企業の独自判断で「病気有給休暇」を与えているケースはたくさんありますが、それでも、米労働省の調査(2016年)では、民間企業労働者の35%以上が、病気有給休暇を利用していないか、そもそも、会社からその制度を与えられていない人であることがわかっています。
オバマ大統領は、「連邦法」を制定できないのであれば、「大統領令」で実施できることをしようとして、連邦政府と取引をする会社には、「病気有給休暇制度があること」を条件に課すルールを決めて、2017年から実施されます。
ただ、この休暇制度が直接的に「メンタルヘルス」と関係があるかどうかは微妙なところです。短期の病気有給休暇を実現しようとするものですから、どちらかというと、「風邪やインフルエンザなどの短期間の体の病気」を対象としています。
メンタルヘルス疾患の場合は、治療期間が長期になることも多いため、長期の病気有給休暇が実現されないと、メンタルヘルス疾患を持つ人には、あまりメリットはないかもしれません。
オバマ政権では、メンタルヘルス政策に関しては、ブッシュ政権時代までにつくられた制度の焼き直しが中心となっています。
2016年メンタルヘルス改革法案(上院S2680)が議論されています。
主な内容は、
■自殺対策では、GSLMA法の拡張
■メンタルヘルス専門家の教育と人員拡充
■メンタルヘルス・パリティ法(保険制度)の強化
などです。新規のものはなく、既存の制度の強化・拡充が中心です。次の資料が法案内容がコンパクトにまとまっているようです。こちらのリンクから。
オバマ政権以降、メンタルヘルス分野に関しては、状況が非常に複雑化しています。
特に大きな影響を及ぼしたのが、2012年に起こった「サンディフック小学校銃乱射事件」です。
この事件では、児童20人と教員6人が殺害されました。当時20歳だった容疑者は自殺しましたが、容疑者は、子供のころからずっと精神疾患を患っていたことが明らかになっています。
これ以降、犯罪を防ぐために、様々な意見が噴出しました。
「未成年の精神疾患の治療に力を入れるべきだ」
「精神疾患の者には、銃を規制すべきだ」
「いや、精神疾患と、銃規制を結びつけるべきではない」
など、いろいろな意見が出ました。
銃規制が絡んできたため、利害が激しく対立して、問題が複雑化しました。
どちらかというと、オバマ政権は、アメリカ世論を二分する政策(国民皆保険、銃規制)を強く推し進めようとする傾向があり、そのために、国民の間で、ますます対立が大きくなっています。純粋に「メンタルヘルス」ということであれば、あまり利害の対立はありませんが、多くの国民が反対する「銃規制」が絡んできたことで、かなり複雑になっています。
オバマ政権は退任直前に、21st Century Cures Act という法律を成立させています。21世紀の治療を改善するという内容の法律で、メンタルヘルスも含めて様々な分野に予算が付きます。審議過程では銃規制とも絡んでいましたが、その点は切り離されたようで、議会で合意を得て成立しています。ただ、この法律も利害が錯綜しており、どんな影響を及ぼすのか、先行きを見ていくしかありません。
トランプ政権のメンタルヘルス関連政策
トランプ政権に変わって、どうなるのかは未知数です。
トランプ大統領は、オバマ政権の政策をかなり否定する公約を掲げて当選しています。「オバマケア」に対しても否定的です。
一方で、伝統的な共和党の政策とも一線を画していますから、ブッシュ共和党政権の政策を引き継ぐかどうかも不明確です。
アメリカの政策は、大統領と議会がお互いをチェックし、バランスをとりながらつくるものですから、トランプ政権になっても大きく変わることはないでしょうが、見直しは行われる可能性があります。
なぜ、それほど兵士たちが精神科での治療を拒むのか。
そこに、大きな課題が浮かび上がってきました。それは、「セキュリティ・クリアランス(人物証明)」の問題です。
アメリカでは、国家の重要機密情報にアクセスするためには、一定の要件を満たす必要があります。セキュリティ・クリアランスと呼ばれています。その要件の中に、メンタルヘルスの問題が含まれています。
精神的な治療を受けた経験の有無を問うものがあり、回答次第で機密へのアクセスが制限されていました。
兵士にとって、重要機密にアクセスできないことは、作戦にかかわれないということであり、また、昇進できないことを意味します。
「精神科でカウンセリングを受けてしまうと、自分の任務やキャリアにマイナスの影響を及ぼす」と考える人が少なくありませんでした。
そのような不安を抱いていれば、精神科で治療を受けようという気にはなりません。これも、メンタルヘルス治療のバリアの一つであり、このバリアを取り除かない限り、兵士は治療を受けようとしてくれないという結論に至ったようです。
そこで、米国政府は、セキュリティ・クリアランスから、精神科での治療の有無を尋ねる要件をはずしました。(ただし、アルコール依存・薬物依存の治療など、一部の例外はあります)
テロとの闘いを続けている米国政府にとって、セキュリティ・クリアランスの要件を緩和することは、非常に大きな決断です。「歴史的な変更」と言われましたが、それだけ、帰還兵のPTSD問題が深刻であることの表れとも言えます。
多くの人が待ち望んだメンタルヘルス・パリティ法がついに成立
まさに、長い長い闘いでした。
もとをたどれば、30年前に行き着くほどの課題がついに達成されました。
多くの人が望んできた、「メンタルヘルス疾患」と「体の疾患」の保険の取扱の不平等をなくす法律、メンタルヘルス・パリティ法がようやく成立しました。パリティというのは、同等、等価という意味です。
アメリカでは、「体の疾患」と「精神疾患」では、保険の差別があり、精神疾患の場合は、通院回数や入院回数に上限が設けられるとか、満額もらえないとか、いろいろな差別的取り扱いがありました。それをなくそうという議論は、30年前くらいからありました。ある程度の差別をなくす法律はありましたが、不十分でした。そのため、本格的に差別をなくす法案が議会に提出されました。しかし、審議され始めてから、10年以上経過していました。
上院で可決されても下院で否決され、下院で可決されても上院で否決される。上院案と下院案が一致せず、10年間、成立しなかった法律です。
ブッシュ政権はこの法律の成立に力を入れていましたが、上院案を支持する姿勢でした。しかし、下院は賛成しませんでした。
2008年に、ついに上下両院で可決され、大統領がサインして法律が成立しました。ブッシュ大統領はテキサス州知事時代にも同様のメンタルヘルス法にサインしており、州法と連邦法の両者の成立にかかわったことになります。
ちなみに、このメンタルヘルス・パリティ法はリーマン・ショックをきっかけとした金融危機を受けて成立した「金融安定化法(緊急経済安定化法 Emergency Economic Stabilization Act of 2008)」の一部です。
政治的ないきさつを述べると、メンタルヘルス・パリティ法案は、いわゆる「取引材料」に使われました。リーマンショック後に上院が提案した金融安定化法案は、下院でまさかの否決をされました。それによって、当時としては史上最大、1日にダウ平均株価が777ドルも暴落をしてしまいました。
あわてた上院は、下院が提案していた「メンタルヘルス・パリティ法案」を通してやるから、金融安定化法案に賛成してくれと頼みました。そして、下院から送られてきた「メンタルヘルス・パリティ法案」に、「金融安定化法案」をくっつけて修正案とし、一本の法律として上院で可決し、下院に送り返しました。
「否決できるものなら否決してみろ。そのかわり、メンタルヘルス・パリティ法案も廃案になるぞ」と一種の脅し材料として使いました。下院としては、メンタルヘルス・パリティ法案を通したいので、金融安定化法案に賛成せざるを得なくなりました。
こうした政治的なテクニカルな要素はあったにせよ、金融安定化法も可決され、メンタルヘルス・パリティ法も可決されたというわけです(一本の法律になっているので)。
この法律の成立によって、メンタルヘルス疾患になっても、体の疾患と同等の保険を受けられるようになりました。約1億1300万人の保険が改善されることになりました(当時のアメリカの人口は約3億人)。
これまでは、通院回数、入院日数などの事実上の上限があったメンタルヘルス疾患の保険が、体の病気と同等の保険となり、患者とその家族にとって希望の持てる状況が作り出されました。
米国精神医学会をはじめ、この法律の成立を推進してきた人がみな歓迎する、まさに「歴史的な法律」と言われています。
この法律成立の意義は、治療の際の経済的な面にとどまるものではありません。メンタルヘルスに対する偏見と差別を減らすことに、大統領・上院・下院が共同して国家として真剣に取り組むことを示したという点で、とても大きな意義があると考えられています。
上記のように、過去20年間以上にわたって、米国は様々なメンタルヘルスの取り組みを続けています。それでも、依然としてスティグマは続いており、治療を受けたくないという人も多く、メンタルヘルス政策の課題はいくつも残っているようです。
しかし、2008年10月に長年の懸案だったメンタルヘルス・パリティ法が成立するなど、徐々にですが、着実に進歩してきています。
(2008年11月 メンタルヘルス・パリティ法成立を受けて執筆)
オバマ政権のメンタルヘルス関連政策
議論になった国民皆保険導入
オバマ大統領は、「医療保険改革」を選挙公約にして、国民皆保険に近づく制度を導入しました。いわゆる「オバマケア」です。
これに対しては、様々な批判が出ていますが、新たな方向に動き出したことは間違いないでしょう。
メンタルヘルスに関しては、すでにメンタルヘルス・パリティ法が成立していますので、未加入者が新規に加入する保険においても、メンタルヘルスに関しての保険差別は認められません。そういう意味では、オバマケアは、メンタルヘルスに対する保険の対象者拡大になりました。
病気有給休暇の実現を目指したが・・・
ブッシュ政権がメンタルヘルス政策に力を入れて、一通りのめどを付けたため、オバマ政権では、あまりめぼしいものは出てきていません。
しいて言えば、オバマ大統領は「病気有給休暇(paid sick leave)」を義務づける法律(Healthy Families Act)の実現を目指しました。アメリカは、先進国で唯一、「法定有給休暇制度」のない国であるため、オバマ大統領はせめて「病気有給休暇」だけでも連邦全体で実現させようと考えました。しかし、議会で可決されず、実現しませんでした。
企業の独自判断で「病気有給休暇」を与えているケースはたくさんありますが、それでも、米労働省の調査(2016年)では、民間企業労働者の35%以上が、病気有給休暇を利用していないか、そもそも、会社からその制度を与えられていない人であることがわかっています。
オバマ大統領は、「連邦法」を制定できないのであれば、「大統領令」で実施できることをしようとして、連邦政府と取引をする会社には、「病気有給休暇制度があること」を条件に課すルールを決めて、2017年から実施されます。
ただ、この休暇制度が直接的に「メンタルヘルス」と関係があるかどうかは微妙なところです。短期の病気有給休暇を実現しようとするものですから、どちらかというと、「風邪やインフルエンザなどの短期間の体の病気」を対象としています。
メンタルヘルス疾患の場合は、治療期間が長期になることも多いため、長期の病気有給休暇が実現されないと、メンタルヘルス疾患を持つ人には、あまりメリットはないかもしれません。
オバマ政権は、既存の政策の強化がメイン
オバマ政権では、メンタルヘルス政策に関しては、ブッシュ政権時代までにつくられた制度の焼き直しが中心となっています。
2016年メンタルヘルス改革法案(上院S2680)が議論されています。
主な内容は、
■自殺対策では、GSLMA法の拡張
■メンタルヘルス専門家の教育と人員拡充
■メンタルヘルス・パリティ法(保険制度)の強化
などです。新規のものはなく、既存の制度の強化・拡充が中心です。次の資料が法案内容がコンパクトにまとまっているようです。こちらのリンクから。
銃規制とも絡み、状況は非常に複雑化
オバマ政権以降、メンタルヘルス分野に関しては、状況が非常に複雑化しています。
特に大きな影響を及ぼしたのが、2012年に起こった「サンディフック小学校銃乱射事件」です。
この事件では、児童20人と教員6人が殺害されました。当時20歳だった容疑者は自殺しましたが、容疑者は、子供のころからずっと精神疾患を患っていたことが明らかになっています。
これ以降、犯罪を防ぐために、様々な意見が噴出しました。
「未成年の精神疾患の治療に力を入れるべきだ」
「精神疾患の者には、銃を規制すべきだ」
「いや、精神疾患と、銃規制を結びつけるべきではない」
など、いろいろな意見が出ました。
銃規制が絡んできたため、利害が激しく対立して、問題が複雑化しました。
どちらかというと、オバマ政権は、アメリカ世論を二分する政策(国民皆保険、銃規制)を強く推し進めようとする傾向があり、そのために、国民の間で、ますます対立が大きくなっています。純粋に「メンタルヘルス」ということであれば、あまり利害の対立はありませんが、多くの国民が反対する「銃規制」が絡んできたことで、かなり複雑になっています。
オバマ政権は退任直前に、21st Century Cures Act という法律を成立させています。21世紀の治療を改善するという内容の法律で、メンタルヘルスも含めて様々な分野に予算が付きます。審議過程では銃規制とも絡んでいましたが、その点は切り離されたようで、議会で合意を得て成立しています。ただ、この法律も利害が錯綜しており、どんな影響を及ぼすのか、先行きを見ていくしかありません。
トランプ政権のメンタルヘルス関連政策
トランプ政権のメンタルヘルス政策は、未知数
トランプ政権に変わって、どうなるのかは未知数です。
トランプ大統領は、オバマ政権の政策をかなり否定する公約を掲げて当選しています。「オバマケア」に対しても否定的です。
一方で、伝統的な共和党の政策とも一線を画していますから、ブッシュ共和党政権の政策を引き継ぐかどうかも不明確です。
アメリカの政策は、大統領と議会がお互いをチェックし、バランスをとりながらつくるものですから、トランプ政権になっても大きく変わることはないでしょうが、見直しは行われる可能性があります。
(2016年12月 トランプ大統領当選後、就任前に執筆)