セリエ博士が「ストレス学説」を生み出したのは、何歳のときだと思いますか?
Q1 ストレスという言葉を生み出した人を知っていますか。
ストレスという言葉は、もともとは工学用語として用いられていましたが、それを医学・生理学用語にしたのは、ハンス・セリエというカナダの生理学者です。私たちが日常生活で使っている「ストレス」という言葉は、ハンス・セリエが用いたことによって始まったものです。
セリエが発表した学説は「ストレス学説」と呼ばれています。発表されたのは1936年ですから、「ストレス」という言葉が使われ始めてから、70年以上になります。
セリエの代表的著作
Q2 セリエが「ストレス学説」を発表したのは、彼が何歳のときのことだと思いますか?
それは、28歳のときです。 (*空欄をマウスで反転させると答えが出てきます。反転できない場合は、このページの中ほどに答えが出ています)
Q3 彼がストレス学説のきっかけとなる疑問を抱いたのは、何歳のころだと思いますか?
実は、彼が18歳のときのことでした。
セリエは、偉大な科学者として知られています。しかし、そのセリエが「ストレス学説」を発表したとき、彼はまだ若き研究者であり、「ストレス学説」の着想のヒントを得たのは、彼が医学生になったばかりのときでした。
みなさんと、ほぼ同じくらいの年齢の人が、「ストレス」を発見したのです。
医学も心理学も知らない18歳の青年の素朴な疑問が、ストレス学説を生みだし、今日、知らない人がいないほどの言葉「ストレス」となっています。
(Q2の答え:28歳。 Q3の答え:18歳)
セリエが抱いた素朴な疑問
では、セリエは18歳のときにどんな疑問を抱いたのでしょうか。
セリエは、医学生としての初めての臨床講座で、教授について患者を見て回っているときに「どの病気の患者を見ても、みな同じような症状をしている」と感じたのです。患者はみな元気がなさそうで、顔色が悪く、熱があり、食欲のなさを訴えていました。
「そんなこと、病人なら当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、このような当たり前と思われることに「なぜそうなるのだろうか」と疑問を持ったことが、後のストレス学説につながっていきます。
当時の考え方は(今もそうかもしれませんが)、それぞれの病気には特有の症状があり、その違いを見分けて、病気を特定するのが立派な医者であるという考え方でした。
つまり、病気ごとの違いを見分けるのが医者であり、どの病気にも共通点があるなどということは、専門家たる医者の考えることではない、というのが常識だったようです。セリエは、「どの病気にも同じような症状があるのではないか」という素朴な疑問を指導教授に話したかったのですが、一笑に付されることがわかっていたので、話すことはありませんでした。
そのうちに、試験が迫ってきたために、セリエは、徐々に、この重要な発見を忘れてしまいました。
その後、セリエは、医学生・生理学者として、知識を積み、経験を積めば積むほど、“医学常識”を身につけて、プロフェッショナルになっていき、18歳のときの疑問は、どこかに消えていったようです。
「ついに、新しいホルモンを発見した!」と思ったのに・・・
この貴重な疑問が、再びセリエの頭の中を支配するのは、10年ほど経ってからのことです。
当時、セリエはホルモンの研究に打ち込んでいました。そして、あるときマウスでの実験中に「新しいホルモンを発見した」と思いました。そのホルモンは、これまでのどれにもないような症状を示しました。
新しいホルモンの発見というのは、科学者にとって最高の喜びの一つです。それを検証するために、セリエは実験を繰り返しました。
ところが、実験を続けていくうちに、別の物質を使っても同じような反応が出てしまいます。新ホルモンの発見を期待していたセリエは落ち込みました。半ばやけになって、目の前にあったホルマリン(毒性の強い溶液)を使って、実験しました。すると、新発見のホルモンと思われたものよりも、さらに強い反応が出てしまいました。
「大発見に違いない」と思っていたセリエは、「人生の中でこれほど落ち込んだことはない」と言っています。セリエが「発見した!」と思ったものは、「新ホルモン」ではなかったのです。
落胆が大きすぎて、数日間は仕事が何も手に着かなかったようです。が、ふとセリエは考えます。
「もしかしたら、どんな物質を使っても同じ反応を示すのではないか。だとしたら、新種のホルモンの発見よりも、重大な意味を持つのではないか」
そのときに、思いついたのが18歳のときに感じた疑問でした。
「医学部に入ったばかりの時に、どの患者も同じように見えたことと、これは関係があるのではないか」
周囲の反対を押し切って研究を続ける
セリエは、「生物には、どんな刺激によっても引き起こされる共通の反応があるのではないか」という仮説を立て、この研究を続けることにしました。
しかし、まわりの人たちから猛反対にあいます。友人からも、「そんなばかげた研究のために、科学者としての人生を棒に振るのか」という忠告を受けました。
当時の常識からすれば当然のアドバイスでした。薬物の研究というのは、薬の特別な作用を研究するものであり、それに付随する一般的な反応を研究しても意味がないとされていたため、「ばかげた研究はやめろ」という親身な忠告をしてくれたのです。
それでも、ただ一人、話を聞いて応援してくれる人がいました。それは、インシュリンの発見者でノーベル賞をとったフレデリック・バンティング博士です。
セリエは後に、偉大なバンティング博士が、まだ20代だった自分の突拍子もない着想を聞いてくれて、理解のある態度で応援してくれたことをとても感謝しています。セリエは、精神的支えを得て、この研究に一生を捧げようと決意します。ちなみに、このバンティング博士のように精神的に支援してくれる先人・先輩を「メンター」と呼びます。メンターの存在は、何かをしようとするときにはとても大切です。
研究を重ねた末、セリエは、1936年7月4日のアメリカの独立記念日に発売された英『ネイチャー』誌に、「各種の有害要因によって引き起こされる症候群」という論文を発表します。これが、「ストレス学説」です。
有害要因というのが、いわゆる「ストレス」です。つまり、ストレスがかかると、体にある一連の症候群が起こるということをセリエは発見したのです。
もちろん、これはセリエのストレス学説のスタートに過ぎません。その後、セリエは、さまざまなストレスのメカニズムを解明していき、医学や、人々のライフスタイルにストレス学説をどう生かすかという面で、多大な貢献をしました。
素直な発想でストレスについて考えてみて下さい
セリエは、自分自身の研究を振り返って、「自分は、医学的に何が正しいかを知らなかったから、ストレスを発見できた」と述べています。
彼自身は、自分が特別な才能を持っていたとは考えておらず、「素直な感覚」「素朴な疑問」を大切にしたから、ストレスの発見に至ったのだと考えていました。医学の素人だったからこそ、疑問を持つことができて、ストレス学説を生み出すことができたと考えていたようです。
この記事を読んでいただいている方は、ほとんどが10代、20代の方であろうと思います。ストレスや悩みを抱えている方もいるかもしれません。
あなたが、ストレスについて考えてみるときに、医学的なことや心理学的なことを学ぼうとすることは大切なことだと思います。でも、それらを知らなくても、気にすることはありません。
ストレスの解決策、ストレス対処法については、医学や心理学でもさまざまなアプローチが行われていますが、あなた自身の素直な感覚で、どうやったらストレスとうまくつき合っていけるのか、どうやったらストレスをコントロールできるのかを考えていただいたほうがいいと思います。
ハンス・セリエ博士が生まれたのは、1907年。今年(執筆時点:2007年)でちょうど100年になります。もし、現在、セリエが生きていたとしたら、きっと10代、20代のみなさんには、彼が若くしてストレスを発見したときのように、既存の理論にとらわれず、素直な感性で、ストレスについて考えてほしいのではないだろうかと思います。
ストレスや悩みを抱えてしまったときには、このストレス発見物語を思い出していただき、まず、自分自身の感性と自分自身の頭でストレスの対処法について考えてみて下さい。それは、あなたがご自分のストレスとつき合っていく上での重要なステップとなるはずです。
(2007年1月)